紫電塔

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中井 英夫『虚無への供物』終盤の解釈 (考察)

虚無への供物 (講談社文庫)

虚無への供物 (講談社文庫)

中井 英夫『虚無への供物』を再読した。推理小説的部分についての確たる考えはまだ持てていないが,「57 鉄格子の内そと (蒼司の告発)」については自分なりに筋のとおった解釈を得られたので,書きのこそうと思う。

注記以下,核心部分についてのねたバレがあります

蒼司いわく,紫司郎は“愚昧と怠慢の記念碑”的な洞爺丸事故で豚のように死んだのではなく,カインとアベル [なぞら] えられるような美しい死に方をしたのだ,とすべく橙司郎を殺したのであって,自分さえ安全ならば,どんなに痛ましい出来ごとも好機の目で楽しめる輩のためではない。が,殺した事実だけからすれば,その区別もままならない。

――と,蒼司のセリフは上記のように要約できると思う。
彼はまた「自分さえ安全ならば,どんなに痛ましい出来ごとも好奇の目で楽しめる」こと≒凄まじい虚無≒化けもの こそが,人間界の出来ごととは思えぬようなキチガイじみた止めど無い事故死の遠因だと考えている,と種々の描写から解釈できる。
よって蒼司が殺人をしたのは,現実のこととは思えない,人間に誇りなんて無いような死を否認するため,ひいてはそんな死の発生源たる“化けもの”に抗うためだ,と総合できる。

こう解釈すれば,終盤の抽象的な記述 (“未来の,これからの事件の犯人を志願して消えていった”など) もラクに読みとける。「読者も犯人である」とされるわけや題名については説明するまでも無いだろう。

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